アーティスト<令和元年度>

【参加アーティスト】関口恒男

関口恒男
Sekiguchi Tsuneo

17歳位の頃から自分の存在、この世界とは何なのか強い哲学的な疑問を持ち始めました。
安易な意味や目的を受け入れることを強く拒否し、何もわからないまますさんだ精神状態でいました。
それが当時の私にできる最も真摯な態度でした。
そんなある日、朝目を覚ますと世界がクリアーでびっくりするほど美しく見えました。
大学受験に失敗し浪人中でしたが、進路を変更し絵の道に進もうと決めました。
この美しい世界となんらかの関係を持つには、そのときは絵を描くという方法しか思いつきませんでした。
その後美大を卒業し、アルバイトをしながら制作をしていましたが、再び哲学的な疑問に突き動かされて、31歳の時に美術をやめて海外に放浪の旅に出ました。
インドの西海岸にあるゴアという街にたどり着きました。ゴアは60年代からヒッピーが住み着いている所で、私が始めて訪れた1986年は、新しいダンスムーブメントが始まりつつある時でした。
そこで自分の体を動かして踊ることに深く興味を持ち、毎日のように踊っていました。
ある朝、踊っている時に、突然自分がこの世界そのものであることを理解しました。
自分がこの世界を観察している存在であると思っている時、あの哲学的疑問が生まれるのだと思いました。
しかしその時、私は私が見ているこの世界そのものであると理解しました。
この体験から、ダンスをする場所「レインボーハット」を作ることを思い立ちました。
水と鏡で作る虹は、学生の頃偶然発見しました。当時はあまり興味はなっかたのですが、ゴアでダンスと結びつきました。
創造とは全く新しいことが起こることだと思います。
人がその当人の観察しているものそのものであると理解する時、世界は全く新しく、そのことが創造だと考えています。
レインボーハットはそのような理解をできることを願って作っている作品です。

 

<今回作品タイトル> 福用レインボーハット

〇作品設置場所:福用駅エリア(北五和スポーツ広場 福用駅東側グランド先)

水の中に鏡を入れ、太陽の光を反射することによって虹を作り、木の枝などで作った質素なハット(HUT= 小屋)の内部に投影。
原始人たちが火を囲んで踊っていたように、虹をよりどころとして、人々が集い、共に遊び学ぶ場を作る。

自然素材で作ったドーム型のシェルター内部に水と鏡のプリズムで虹を作る。
シェルターは「自分自身を理解するためのダンスを踊る空間」のためのもの。
日本のみならず世界各地で「レインボーハット」を制作。
(「Echigo Tsumari Rainbow Hut 」2006年)

 

<過去作品名及び制作年>


Anjuna Rainbow Hut 1989年


Echigo Tsumari Rainbow Hut 2006年


Rainbow Head 2012年

-アーティスト<令和元年度>

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